ヨシタケシンスケさん

キャリアデザインⅠ

多様性について学ぶ

ゲスト講師による講話

GUEST
イラストレーター

ヨシタケ シンスケさん

YOSHITAKE Shinsuke

INTERVIEW 01
今回は絵本作家として活躍しつつ、イラストレーターでもあるヨシタケシンスケさんをゲストにお招きしました。

職業は、絵本作家とイラストレーターということをやっています。両方とも絵を描く仕事なんですけど、僕はまだ絵本作家になって5年しかたっていないので、絵本作家としては新人です。イラストレーターの仕事はかれこれ15年ぐらいになりますね。

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まず自己紹介も兼ねて、ヨシタケさんの今までのお仕事を紹介して頂けますか。

この『りんごかもしれない』という絵本が僕のデビュー作で、2013年に出版されました。これに至るまでの話なのですが、実は僕は絵本作家になりたいと思ったことがなくて、描きなさいと言われて出したのがこの本でした。大学時代は、筑波大学の芸術専門学群総合造形コースという、しいていえば現代美術を学ぶ学科にいました。今日は昔の僕のポートフォリオを持ってきたのですが、身体や顔に装着する「かぶり物」の作品を作っていました。もともと映画などで使われるミニチュアや小道具、宇宙服とか怪獣の着ぐるみを作る仕事をやりたかったんです。そういう物を作る技術をどこで学べばいいか分からず、色々考えて美術大学に行けば教えてくれるかと思って入学したのですが、誰も教えてくれなかったんです。仕方がないので色々な先輩や先生にプラスティック素材とかの技術を聞きながら、独学で作れるようになりました。

学生時代はポートフォリオを持って「僕はこういう物を作れます、あなたの工房で雇って下さい」と頼んだのですが、どこも雇ってくれませんでした。結局はゲーム会社に就職をしました。なぜゲーム会社にしたのかというと、僕の作品は作ると友達が「面白い」と喜んでくれたんですね。なので、自分のアイデアで人が喜んでくれる仕事がいいなと思ったからです。でも半年間やってみて、あんまり上手にできなかったんですね。会社ではゲームセンターの部署で働いていて、そこで僕が気付いたのが、人を楽しませるというのは色々な方法があって、ゲームセンターの楽しませ方というのはいわゆる射幸心を煽る、ギャンブル性を高めるやり方なんです。「くやしい、もう一度やりたい、もう100円入れたい」と人を興奮させることで完成するんですね。でも、僕が当時好きだった楽しませ方は、にやっとさせる、じわっと人を喜ばせることだと気付きました。

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半年間で会社を辞めてしまった後、大学の同級生が共同アトリエを作るというので、一緒に参加させて貰って広告美術の仕事を頂けるようになりました。広告美術というのはポスターに使われるミニチュアや、モデルが持つ小道具なども作るので、もともと僕がやりたかったことに近い、ものづくりの仕事をするようになりました。

また、半年間会社で働いていた頃ずっと落書きを描いていました。後ろに人の気配がしたら隠せるぐらい小さな落書きをしていて、そのときからずっと絵が小さいままです。ある日、油断をしていて経理の女性の人に見つかってしまったが、「この絵かわいいね」と言われたのです。自分のためだけに描いていた絵だったのに、褒められることで、喜んでもらえるのだったらもっと人に見てもらおう!と思って、深夜のローソンでコピーして同人印刷で本を作りました。

個展の会場において手売りをしていたのですが、部屋が狭いので最後は色んな人にどんどんあげていたら、人づてに回っていって出版社の人から電話が掛かってきて、「作品集をつくらないか」と言われました。それがパルコ出版から出た「しかもフタが無い」という本です。

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今はイラストレーターであり絵本作家として活躍されていますが、現場の雰囲気はどうでしょうか。

僕も自分がなるまで分からなかったのですが、絵本作家の現場の雰囲気って、部屋で一人で描いているだけなんです。そして出版社に行って編集の人に見てもらう。またそれが僕にとって、とても心地良いんですね (笑)

そうすると全く一人ぼっちではなく、打ち合わせで色々な人と会うこともあるんですね。

そうですね、特にイラストレーターという仕事は、打ち合わせあってこそなので、例えば「この記事を一枚の絵にまとめて下さい」とか「この本を読んで、内容を一枚にまとめて表紙を描いて下さい」とか、やはりお題があります。このやらなければいけないこと、守らなければいけないことを全部満たした上で、プラスで一つ、向こうから言われていないけれどこちらで提案を入れるというのが、僕にとってイラストレーターの仕事なんです。

哲学者や映画の原作などの本のイラストも描いておられますが、自分で物語を考える場合とどう違いますか?

他人が書いた文章に絵を合わせるのって結構難しくて、一言でいうと相性なんです。向こうが僕の絵を気に入ってくれていると提案を受け入れて貰えるのですが、まれに著者の人が僕の絵が嫌いだと全部裏目に出てしまうこともあります。仕事が上手くいかないことは多々あるわけで、そういうときにこの仕事はどうすればいいのか、向こうは僕がどうするのを一番喜ぶのかを考えます。相手のお題を理解して先方が必要としている形で答える、自分がどんな技術を持っていて何が提案できるのか常日頃考えるのは大事だと思います。

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「もうぬげない」2015, ブロンズ新社
ヨシタケさんの作品を色々見せて頂くと、原点は小さなスケッチブックにあって、そこからの発展形でこのイラストレーションが生まれているということが散見されますね。

そうですね。僕は大学の最初の授業でデッサンがビリだったんです。それ以来本物を見て描くのをやめようと思ったんですね。もう一つは、デッサンが完成してないと言われた理由として筆圧が弱かったんです。みなさんご存知のようにデッサンは鉛筆で描きますが、僕は最後まで筆圧の強い決めの線を描くのが怖くて、それで自分のスケッチはペンで描くこと、見ないで描くことをルールとして決めました。見ながら描く作業は、記憶するという作業が入らないのですが、見ないで描くには覚えなければいけない。すると普段自分がどこを見てないのかがわかったり、「それっぽさ」がどこから来ているのかがわかるんです。

自分が面白いと思ったものを記憶する方法として、写真や文字もありますが、どの記録媒体で残すかが重要です。僕はスケッチなんです。例えば面白いおばさんの髪型をスケッチではうまく残せない。そういう場合は写真の人の仕事だなと思うんです。写真家は撮影すると面白くなるっていうものを探して歩いているし、僕はイラストによって面白くなるものを探すようになっているんです。何で記録に残すかによって面白さの質が変わってくるのが、だんだん分かるようになりました。

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そうすると、なぜ美大に行くことにしたのですか?

最初にお話したように映画の小道具とかを作る技術を学びたくて美大に行きました。ところが実際に行ってみたら美大は当然ながら表現の場所なので、余計に自分のいるべき場所ではないのかなと思ったんですね。そんな時に、大学1〜2年の頃、ヤノベケンジさんの作品を見たんです。

現代アートという枠の中でロボットみたいなものを作っているのを見て、「あ、これで 良いんだ」ってすごく救われました。

今の若い人に感じている事、今の大学生にやっておいてほしい事はありますか?

若い頃って焦るんですよね、海外に行っとけとか言われたりして。でもやっぱり人それぞれのやり方があって、後から大事な時期が来る場合もあります。何者でもない自分に、どうしたら目を向けてもらえるかと焦ってしまうのですが、今のみなさんが感じている焦りは大事なんです。酷い経験だったり苦労だったりは、後々になって創作の糧に出来ますので、今のうちから何かの形で自分の気になったものを記録する、コレクションするのはいいことだと思います。

学生からの質問

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「このあとどうしちゃおう」2016, ブロンズ新社
以前、ヨシタケさんのお話を聞いたことがあるのですが、カラーコーディネートは自分で決めていないというのは本当ですか?

僕、自分で色をつけていないんです。初めて僕が絵本を出すときに編集者に「色がない絵本もあるので」と言われたのですが、とりあえず自分で頑張って色をつけてみたら、編集の人から「デザイナーに色をつけてもらいましょうか」と言われまして (笑) 。僕が絵本作家になれたのは、すごく優秀なデザイナーに色をつけてもらったからで、自分が出来ない事は全てお任せしてしまったんです。得意な人に得意なことを任せるのは大事だと思いました、でもその代わり自分の仕事の部分は頑張ろうとも思いました。

絵本を作る過程で、一番楽しいと思うところはどこですか?

物語を作るというところですね。

私は絵を描くのが好きなのですが、お話を人に伝えるのが苦手です。何かアドバイスはありますでしょうか。

僕もお話を作ったことはなかったのですが、編集者の人に色々教えて貰いました。その際、素直に「なるほど」と思いながら、自分もそれを面白いと思えるか?と考えながらやるといいと思います。僕の場合は、何かひとつ伝えなきゃいけないメッセージがあるときに、どういう子供がどういう言葉で言ったときに読者は納得するだろうか?ということを逆算して考えるタイプの作家らしいんですね。なので、こういう言い方があったんだ、こういう表現があったんだと、編集者や読んでくれた人の意見を真摯に受け止めながら、自分で納得出来るところはきちんと次に生かしてレスポンスをすることが大切だと思います。

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